Pepper's Project Exhibition 「It's my Art Style」
●sataurday evening's workshop
7/29sat PM6:00~8:00
「在庫市」インスタレーション

市原悠輔
そして捨てられゆく服達の存在を、
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物とその向こう側との関係に興味をもちます。
 ギャラリーがきれいな空間と思い込むのなら、そこに汚い物があったとしても、見にきた人はそれを作品と認識すると思いました。そうした感覚が僕にはすごく恐く思え、物とその向こう側との関係を壊してみたくなりました。
市原悠輔

コンクリートの薄暗い空間に入ると、そこには何も展示していない様に見えるが壁に薄く張り着いた古布でできた作品を発見。
それは壁と同化している様に、擬態しているようにもみえる。海底にいるカレイが片面砂色になってるみたいに。

前は作品の素材である古布も衣類として使用され、汚れては洗って、繰り返し重宝されていたものなんだと思う。そのうち、寿命がきて穴があいたり、すれたり、汚れたり、匂ったり?してきて使われなくなると、ゴミになって不用なものになっていく。そのタイミングもあるけれど、人とモノとの関係は用途によって段階があるわけじゃないし、使用回数に比例して深くなるわけでもないと思う。ただ、モノが人に使われて薄汚れていく風景がキレイに見える時もあって、キレイなものが何だか不愉快に不潔に思える事だってあったりする。それは自分の方こそ不純なんだけれど、それはさておき、汚いモノがキレイに見える時、その視点は嫌いだったモノが愛おしく感じるくらいの逆転現象があるように思えた。また、その逆の逆転現象がある。
ギャラリーにあるものは作品として展示している。当然みる側は作品という視点からみつめる。その時、普段きたないとするモノを汚いと感じる視点が少し閉ざされる。閉ざされるというよりか、別な視点が加わる。作品を観ることは美しいものを感じることだという意識があるのかもしれない。
この作品がかつてはモノとして古くボロボロになるまで使われていた、背景に気が着くと視点が幾つも交差し始める。作品がひっそりと佇むところにも、語りながらこちらを見つめているような気もしてきた。