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ものたちは、うまれて、きえていきます。始まりがあって、終わりを手に入れたとき、存在した物として確固たる語りを持ちます。
なぜ美術作品にはそれが許されにくいのでしょうか?
なぜ空調と光を管理されたシェルターの中で、死を迎えることで物語を完結させることを許されずにいるのでしょうか?
(ピンで留められた蝶達のように、祭壇に飾られる磔にされた聖人のように。)
私は真っ白な紙に、存在を許されない孤独なおしろと、静かな諦念を持って消失を待ちこがれる街を描きました。
5つの命がそれらにシを与えました。
私はそれをただ見届けました。
「まっしろなかみがにまい。」
しろいおしろとまちのこと。
時々思い出します。
でもいつか、すっかり忘れてしまうでしょう。
志水菜穂子
B全の画用紙二枚の画用紙が床に床に敷いてあります。
それには鉛筆でお城のドローイングが描いてあります。
階段やお部屋や塔や踊り場が幾つも組み合わさったお城が描いてあります。
しばらくそのお城を眺めていたら、
このワークショップに集まった人たち一人ひとりに新しい消しゴムが渡されました。
その消しゴムに自分の名前を書いて下さいと、名前シールも渡されました。
自分の名前を貼った消しゴムをもったら、
「このお城を消して下さい。」と言われました。
5人の参加者は、画用紙を取り囲み座り、
お城の線を消していきました。
ある人は勢いよくごしごしと自分の方から、
ある人は旗から順に消していきました。
そしてある人は細かに手を動かし線に沿って消していきました。
またある人は好きなところから。
あっという間にもうほとんどのお城が消えていました。
このお城を描いた時間よりはるかに短い時間でみるみる無くなっていきました。
そしてそこに残ったのは消した後の消しゴムの黒い消しかすだけでした。
真っ白に戻った画用紙には、かすかに鉛筆の筆跡が見えました。
そこには、お城が描かれていました。
消されるために描かれたお城がありました。
今ではもう黒い消しかすになってしまいました。
そのお城をみることはできません。
私たちが消し去ってしまいました。
いつもは、ワークショップの最後には完成した作品や、インスタレーションをみれますが、
今回のワークショップは、逆で、形あるものを失くして何も残らないものでした。
妙な気持ちになります。
あのお城の記憶は、消したことで残るのです。
喪失感と罪悪感と消す行為に熱中した後の達成感があります。
その記憶も薄れて消えていくのです。
Pepper's koko
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